明治以来、急速に輸入された西洋文化は、我が国民の思想や生活に一大変化を与えました。それとともに異常に発達した科学文明の世の中になればなるほど、礼法の必要性が痛感されてきました。

 初代、諸泉祐道はこのときにあたり、煎茶に小笠原礼法をとり入れ、元小倉藩十一代当主、小笠原長幹伯からの要請を受け、昭和五(1930)年、京都において、日本礼道小笠原流煎茶を創流しました。以来、祐道は全国各地を巡回してその普及と指導に専念しておりましたが、昭和二十五(1950)年五月三十日、病のため福岡で没しました。享年七十七歳でした。二代目をその子、諸泉祐正が継承し、「小笠原基本教書」を刊行しました。

 昭和四十七(1972)年には、三代目家元を諸泉祐陽が引き継ぎ、「日本礼道小笠原流煎茶」上下巻を刊行して点前の系統化を進めました。社団法人全日本煎茶道連盟で常任理事を務めるなど、大きく流を発展させました。

 平成十五(2003)年には四代目家元を諸泉祐園が継承、本部を神戸に置き、現在に至っています。なお流は現在、全国に二十五の支部を持ち、各支部とも茶会や研修会、講習会を開催し、活発に流の普及と向上に努めています。

日本礼道小笠原流事務局

初代 家元 諸泉祐道

二代 家元 諸泉祐正

三代 家元 諸泉祐陽